2010年03月13日 (土)

我が国の精神的象徴「大和

大和桜

大和桜


「大和(ヤマト)」ということばの象徴。
古来より我が国の中心であった「大和」の地。ヤマト(奈良)は古代より、太陽信仰を起点とした、我が国の精神的価値観の中心(真帆驢馬)として崇拝された地であり、その地を基点に、日本列島全土に渡って「大規模なネットワーク」が形成されていたという説があります。
その説が事実であれば、古代の我が国には、わたくしたちが知っている常識以上に、高度な精神文化、そして測量・土木工事技術を併せ持った「高度な文明」が存在していたことになります。
「ヤマト」を「大和」と表記して使われるようになるのは、おそらく応神・仁徳時代の5世紀以降、6~7世紀頃と考えられています。
古代日本史を紐解く史料として注目される、古来中国の文献、唐の正史「旧唐書(くとうじょ)」、あるいは、梁(南北朝時代)の正史「梁書」によれば、我が国は、4世紀当時「扶桑国(北海道・東北)」「大漢国(大阪)」「文身国(中国・山陰)」「倭国(九州)」の4国が存在し、共存していました。
そして、この4つの国が初めて、ヤマト(奈良)という地を中心に「同じ精神的価値観」を有することで、緩やかな統合(連合)がなされ、次第に”統一国家が形成”されていきます。
その地を「大和(ヤマト)」つまり、「大きく和する」という字があてられたと考えられています。
我が社の経営理念の一つ、「和心協働(和の心を持って、同じ目的のために、皆が対等の立場で協力して共に働く)」は、この「大和の精神」に依拠したものです。
 
我が国造船技術の象徴「大和」
 
戦艦大和

戦艦大和


日本人で知らぬ人はない、我が国でもっとも有名な艦船である「戦艦大和」。
近年公開された映画「男たちの大和」をはじめ、数多くの映画作品の題材とされている「我が国艦船の象徴」ともいえる戦艦です。
「大和」は、戦前の昭和9年に計画され、それまでの常識をはるかに超える高性能と戦闘力を目指し竣工、昭和17年に完成します。
同時に我が国は、米国に対し戦い挑み、太平洋戦争開戦となります。
太平洋戦争は間違いなく、戦艦大和の完成をきっかけとしたもので、日本海軍の象徴となったこの戦艦も、おそらく、”我が国精神の象徴”である「大和」の名を選んだに違いありません。
戦艦大和は、開戦以後、既に航空機中心の戦闘が主流となりつつある戦況の中、時代遅れの産物として、結局、兵器としてはほとんど活躍することなく、敗戦の色が濃くなった大戦末期の昭和20年4月7日、「国民一億総特攻の象徴」として、「悲劇的な最期」を迎えることになります。
しかし、戦後の我が国の復興、特に造船業界の急速な進展は、「戦艦大和の工法、造船技術があったからこそ」といわれ、まさに”大和の建造で培われた技術力の賜物”であるというのが、今日の造船界の定説となっております。
大戦中の日本を救えなかった大和、しかし、戦後の産業復興に大きな役割を果たした大和は、「我が国造船界の象徴」ともいえます。
余談になりますが、我が家系・親族は、太平洋戦争中、弊社の会長を筆頭に、海軍出身者が多く(会長の叔父は、海軍将校として、大和への乗艦経験もあったとのことです)、現在、わたくしどもが造船業に携わっておりますことにも、少なからず関わりがございます。
 
戦艦大和の知られざる一面
航行中の大和

航行中の大和


「戦艦大和」は、決して”兵器としてだけの艦船ではない”意外な側面があったといいます。
戦時中に造られた他の戦艦と違い、我が国のすべての技術と威信を注いで建造された大和は、戦時中に造られていないこともあって、ひとつひとつの部品に至るまで磨きあげられ、丁寧につくられていたといいます。
その意味では、戦艦ながら、艦船としての「ひとつの芸術品」であったとさえいわれています。「兵器としての強さ」そして「芸術品としての美しさ」を併せ持っていた大和。
実は、これまでの弊社の体制にも、同じような趣きがございます。
創業者である会長・社長は、造船現場出身の人間。その二人を永きに渡って財務・総務面から支えてきた、会長夫人(取締役)、監査役の吉川莞爾氏の両人は、それぞれ書芸・陶芸という芸術に造詣の深い人物です。
会長・社長を筆頭に「武人的要素の強い」弊社の組織体制にあって、文人的な感性を持ち合わせた取締役・監査役両人の存在は貴重であり、「現場志向の体制」に加え、この二人の感性があったからこそ、「今日の弊社がある」と考えております。
弊社の企業理念の一つである「剣胆琴心(武人の胆と文人の心を持つ)」は、弊社の仕事に取り組む姿勢(アイデンティティ)を示すと同時に、これまでの弊社の「経営体制の在り方」を、表わしたものでもあります。
 
弊社の象徴「大和」
 
戦艦大和の塔

戦艦大和の塔


以上これまで述べましたとおり、「大和」の持つ意味が、我が国における「精神的象徴」、そして「我が国造船技術の象徴」であることが、一般の方々にも多少なりともご理解いただけたのではないかと存じます。
以上の主旨から、「我が国造船業に携わる者の象徴」として、また、それと同時に、「弊社の体制・姿勢(アイデンティティ)の象徴」として、わたくしどもは、これからもその精神を大切していきたいと思っております。
そのような経緯から、弊社社屋入口には「戦艦大和(模型)」を飾っており、いつもご来客の皆様を出迎えております。
「産業技術の進展」は、「かならず人を幸せにしていくべきもの」という信念を持ち、「幸福は、その人が真の仕事をするところに存す」ということばを信じ、またそれを実践していけますよう、わたくしたちは日々職務に励んでまいります。
 
本文を通じ、少しでも弊社ならびにHP記載内容のご理解が深まれば幸いに存じます。
 
末筆ですが、弊社HPをご覧いただいた方々に、心より感謝申し上げますとともに、幸多きことを祈念申し上げまして、弊社HP開設のご挨拶とさせて戴きます。
 
追伸:
(一)弊社HPに掲載しております「企業理念」「行動指針」等には、多くの歴史的偉人のお言葉を参考、または一部拝借させて戴いておりますことをお断り申し上げます。
なお、小職の恩師で、「中国書家の思想」に大変造詣の深い「吉山満先生」より戴きました言葉を、「企業理念」として使わせて戴きました。心より御礼申し上げます。
(二)本文中にございます取締役前川喜美・監査役吉川莞爾両氏の芸術に関する事柄(作品・資料)を、今後本HPにて紹介していく予定でありますことを申し添えます。
 

株式会社前川工業
専務取締役 前川啓